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“緑の雲海”に浮かぶ (7月4日泊)
────────────── カーテンを引いて驚いた。わたしは “緑の雲海” のなかに浮かんでいた。そんな気がした。柏屋旅館の客室から眺める対岸の景色は、そんな気分にさせてくれる。
“緑の雲海”に浮かぶすると、頂き付近の赤松林に霧がサーッとかかりはじめた。気象の変化は、時に見なれた風景を一幅の名画に変えてくれる。この時もそうだった。自然は時に気まぐれで、時にやさしい心づかいを見せてくれる。 赤松林に霧が流れる
気がつけば、鹿股川のせせらぎが「ガーッ」という音とともに、地底から湧きあがってきていた。ここではいつも川音が「ガーッ」というふうに聞こえてくる、それはなぜなんだろう。きっとひとつには、上流からの流れが穏やかな淀(よど)に変わる手前の雷霆(らいてい)の湯付近で、多くの岩にあたって川音を強めているからかもしれない。 そして何よりもの理由は、この渓谷がいかに急峻であるかを物語っているように感じられる。急峻だから川音が、谷間に反響し合って音を増幅させ、最上階まで上ってくるのではないか。そのように思われるのだ。 とにもかくにも、塩の湯という温泉場は、ほんとうに急峻な地形にへばりついたような温泉場である。だから対岸までの距離が迫っている。最上階からでも、十数メートル位しかないように見える。 ──気がついたら、霧はもう姿を消していた。 雲間から朝日が差し込む6時10分、対岸の山頂付近、左側の赤松林から太陽の光りが、雲間をかきわけるように差し込んできた。この時期、塩の湯では太陽がここから昇るのだ。塩の湯は谷あい だから日照時間が長い夏であっても、太陽があたる時間それ自体はさほどではない。頭上の空(天)は山にさえぎられ西側がなく、東側の半分しかないからだ。 いや、“東側の半分”と書いたが、対岸もやや低いが山になるし、南北も山に囲まれているから、正確には、塩の湯の頭上の空の面積は平野部の四分の一位しかない。午後には、太陽は山の陰に姿を隠してしまう。そんなことをふと考えたら、この朝の、雲間から差しこむ光が神々しく感じられた。 鳥が一羽、目の前を、左から右方向へ横切っていった。鳥の種類は、不案内でわからなかった。 対岸と客室の間の空中のあちらこちらに、とんぼやいろんな昆虫が飛びはじめたのに気がついた。気温の上昇とともに、昆虫の一日もはじまる。ここにはまだ大きな自然が残されているのだ。かつて僕らが子供じぶんには、こんな世界はどこでも見かけることができたのに。しかし、今ではたいへん貴重になっている。 そういえば昨夜、宿のおかみさんが“塩の湯のホタル”の話をしていたのを思い出した。「昨日お帰りになったお客さんが帰りがけに、『ここには昔のままのホタルがいるんですねぇ。びっくりしましたよ』って。しみじみと話してました」。 一週間ほど前から、この時期、塩の湯ではホタルが飛んでいる。見られるのは、らいていの湯や、館内風呂かららしい。宿の主人によく聞いてみると、今年は雨の降り方が例年に比べおだやかなために、みどり沢は増水することなく、ここに生息するホタルの幼虫や餌のカワニナが流されないですんだらしい、とのことだった。 ここ塩の湯には、まだ豊かな自然が残っている。うれしい気分になった。思わず自然に感謝したい気持ちになった。自然と人間との共生のゆくえやいかに──。いや、たんなる傍観者であってはいけない。自分にできる何かを、その共生のためにしていかねばならないはずだ。(2000.7.5) ![]() 雨上がりの散歩の小道で (木漏れ日が、スポットライトのようにあたっていた) |