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“蝉しぐれ”の林 (7月27日泊)
───────────── 夕方、チェックインをすませると、柏屋周辺の散策に出かける。番犬「プー」は、別荘の玄関につながれているらしく姿が見えない。国道から入ってきた道を少し戻る。小太郎ヶ淵や八方ヶ原へ向かう三叉路を過ぎ、まっすぐに少し行くと、右側に「前山八方ヶ原線歩道」入口の案内板があった。
入口の案内板 「塩の湯」と「塩原温泉ビジターセンター」とを結ぶ1.7kmの渓谷遊歩道である。古い石碑の後ろから、下りていく。土留めに木を使った段々(歩道)が、左右にうねりながら続く。下りるに従い、左手から瀬音が聞こえてきた。
木の段々がなだらかになった時、樹間の向こうに鹿股(かのまた)川が、せせらぎの音とともに見えてきた。思わず河原に出てみる。きのう降った雨で、川は幾分にごっているようだが、美しい色をした清流だ。“翡翠(ひすい)色の清流”(=テレ朝「秘湯ロマン」ではこう形容していた)と、呼びたくなる気持ちも理解できる。 この時期の午後5時は、まだとても明るい。淀をはさんで、瀬音が上流と下流で聞こえるようになった。 石の廊下≠ェ続く
![]() (この写真は後ろを向いて撮ったもの) 少し行くと、川沿いに堤防ふうの、石造りの遊歩道が整備されていた。“石造り”は自然の景観をこわさない。国立公園内といっても安易な考え方の土木工事が多い中で、その気配りはちょっと嬉しくなった。雰囲気の良さが気に入って、シャッターを切る。 やがて瀬音が賑(にぎ)やかになった。“石の廊下”は、川瀬に沿って続いている。 あちらこちらで、ヒグラシが鳴きはじめた。一匹が鳴くと、少し間を置いて次々に鳴き始める。そのように聞こえる。また少し歩くと、今度は瀬音に負けないくらい大きく鳴いた。 仙人岩吊橋を渡る苔の付いた少し大きな岩の左横をすり抜け、石の段々を上ると、橋が見えた。「仙人岩吊橋」だ。橋を渡る。右手は淀に、左手から力強い瀬音が耳に入ってきた。河原には流木も散見される。渡るに連れて左前方に、下流に向かって美しい景観が広がる。渡り切る直前で、生い茂った枝葉が、歓迎のアーチを作ってくれた。 美しい景観を見せる鹿股川
![]() ここから林の中へ──。センターへはあと900mの距離だ。遠くのあちこちでヒグラシが鳴いている。赤松や杉のほかに、幹回りが2mを超えるモミの巨木もある。 瀬音を左に残し、道は右へとやや上りはじめる。木を使った段々が続く。道は横づたいに、やや下りはじめた。ヒグラシが強く鳴く。また、上りはじめる。瀬音が近づき、後ろから聞こえていたヒグラシの鳴声が、前からも聞こえはじめる。 午後5時40分。若い木立ちの林に入ると、ヒグラシの大合唱となった。はたしてヒグラシは「カナカナ」と鳴いているのだろうか(擬声語が表現できるのはごくわずかだ)。ヒグラシの鳴く声とは、こんなにも力強く、高く、美しい声だったのか。わたしはこれまで、ヒグラシの鳴く声を、耳を澄ましてじっと聞いたことはなかったようだ。そんな機会も、またなかったのかもしれない。 これはモミの木 ヒグラシの林はこの先だ 辞典には「全長約5cm、雄の腹部は大きく、薄く半透明で、共鳴器となる」とある。まるで、こちらの耳の鼓膜までも共鳴してしまったかのように、それは美しく澄んで、痛いほどに耳の底で鳴り響いている。これがヒグラシの“蝉しぐれ”なのだ。 気が付けば、瀬音が合いの手を入れるようにベースを奏で、ヒグラシが高い音域を奏でているかのよう──。わたしはひととき、雑木林の中で“大自然の音楽”に聞き入っていた。一瞬、自分の心が洗われる思いがした。 ──汗が引いた。また歩き出す。センターはもう近い。足取りが別な意味で軽くなった。 やがて、頭上が明るくなった。ヒグラシが一匹、また大きな声で鳴いた。午後6時、センターに到着──。普通に歩けば、入口案内板から30分ほどの距離だろう。 翌朝6時(28日)。カーテンを引くと、赤とんぼが欄干にスッと止まり、すぐ去った。対岸の山頂部後方の空に鱗状の曇が並び、ゆったりと西から東へ移動していた。鹿股川の冷気が部屋に入ってきた。 空はすっきりと抜けてはいないが、空気や光りには、もう秋の気配が感じられる。赤松林の付近で、野鳥が威勢よく鳴いている。キビタキだろうか。オオルリだろうか。右手の山頂部に移ったのか、今度はそっちで鳴き出した。雲の形が、時間を追うごとに変わっていく──。塩の湯は今日も、大自然とともに朝を迎えたのだ。 (2000.7.28) ※電車やバスを利用して柏屋に来た際には、通常のルートではなく、「塩原温泉ビジターセンター」から塩の湯まで、この道を歩くのもおすすめ。塩の湯入口(「四季の里橋」)からは、北へ少し戻る格好にはなるが、それも一興というもの。 |